ここからお読みになる方は、意味が分からないと思いますので
できれば
パート1から読んでみてください。
只今、ストレスのお話しの最中ですが、どうしてもこれに関してはメンタルな部分に立ち入らないといけないと思い、今瞑想についてのお話しの最中です。
瞑想について、ヨーガ・お釈迦様のお話しをしました。今回は中国仏教のお話しを致します。これは宗教の話しではありませんよ。あくまでも瞑想の話しですよ。
ヨーガでは、瞑想の技法をシャマタ・ビバシャナといったことは、前にお話ししました。
それが中国に伝わり、この瞑想法を分かりやすく解説したものに、シナの小釈迦といわれた中国天台の大師智顗(538~597)の「天台小止観」があります。またこの小止観は、後に作られた禅宗、仏教諸派の瞑想の手本にもなっています。
智顗はシャマタを「止」、ビバシャナを「観」と漢訳しました。これは良い訳ですね。
シャマタ「止」とは、
心を一点に集中して、いささかも散乱させないこと。
ビバシャナ「観」とは、
現前の境界を離れてさまざまな想念を巡らすこと、とあります。
つまり
瞑想にはこの二つのパターンがあるということです。
「止」と「観」です。以後シャマタ・ビバシャナを止と観で説明します。
前に説明しました整体の合掌行気法、また禅の無念無想、これらは「止」です。
一点に集中して、整体の場合は手に集中し、他の事はいっさい考えない。雑念が湧いたらすぐ元に戻す。これは集中力がつきますよ。
「観」は想い巡らすこと、つまりテーマを一つ決め、それについて徹底的に考えるということです。もちろん始めと最後、テーマがずれたらいけませんよ。
パート8でお話ししましたように、今晩ハンバーグが食べたいから銀座の繁華街まで行っちゃったらダメですよ。そういうときは、すぐ元のテーマに戻ってくださいよ。あくまでも入口と出口は一緒です。
この「観」にあたるのがお釈迦様のメインの瞑想であり、禅では公案にあたるのです。
お釈迦様とヨーガの瞑想の違いはここ「観」の部分です。新しい「観」の瞑想法により、より深く瞑想に入ることができた。それにより悟りまでたどり着いた、という事です。